ソラマメブログ

2011年02月28日

「古代」出雲大社

 リアルで島根の人はもちろんご存じでしようが、案外日本も狭いようで広い・・・現在の出雲大社すらまだ行ったことないーーー、って人もいるかも・・・まして古代の出雲大社って?という台詞が出てもおかしくは無い・・・
 って、なぜこんな話題を書くか、と言いますと・・・うちのシムにその「古代出雲大社」があるから・・・(^^)
 まずはこれ・・・
「古代」出雲大社
 と、あるサイトにのっている古代出雲大社の「想像図」。詳細についてはウィキペディアにも載っていますが、とにかく高さ96メートルという説が有力だそうです。造形については諸説あって・・・

「古代」出雲大社
こんなのや・・・


「古代」出雲大社
 もーー色々(^_^) 96メートルという高さも、山頂にたてられていたからだ、という説まであるようですが・・・

現存する文献上で出雲大社の造営に関する記事が見える最初のものは日本書紀である。659年斉明5是歳条に、出雲国造に命じて神宮を造らせる、とある(これは熊野大社とする説もある。)
 以後、出雲大社の大きさ高さについて記録した文献が幾つか残っている。天禄元年(970)と年号が記された「口遊」(くちずさみ)という書物がある。平安初期の源為憲(みなもとのためのり)という学者が書いたもので、当時の子供達の社会科の教科書のような性格を持っている。当時の著名なものを紹介したり、その大きさの順位を暗記しやすいようにゴロ合わせなどを用いて覚えやすく書き残したものだ。ここに、当時の大建造物のおぼえ歌があり、
「大屋を誦して謂う。雲太、和二、京三」と書かれている。説明文も書かれておりそれによると、雲太とは出雲にある出雲大社のことで、これが一番大きく、次いで大和国東大寺の大仏殿であり、京三とは京都の大極殿八省(今の平安神宮)のことだと記されているのである。東大寺大仏殿は平安末期の源平争乱の中、治承4年(1180)に戦焼しているが、焼ける前の高さは十五丈(約45m)と伝えられており、出雲大社はそれ以上あったことになる。」

 以上、サイトからの抜粋ですが、現実に平成12年に島根で発掘が行われ、実際にそうだった、という可能性が高まってきたそうです。
大林組がCGで再現して現場の博物館に展示してありますね。
 いつになく、まじめなブログだ・・・^^; で、ですね・・・エリア86Zにはショップゾーンと並んで、この「古代出雲大社」が置かれています
ちゃんと再現。作者は当シムのメンバーでもあり、スタッフとしても日頃お世話になっている「フェニス」さん。
 シムも明後日から、春模様・・・(タブン・・・) 是非一度見に来てくださいな(^^) 



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Posted by みー at 07:06 │雑記
この記事へのコメント
昔の人って凄いですよねぇ

現代でも難しいような物を建ててしまうんですものね・・・

それをSLで復元する人も凄い!(^-^)
Posted by 雪<ゆき> at 2011年02月28日 20:04
昔の建物は想像らしいですけど、当時の建築技術の域でしか、やはり無くて、何度か倒壊した、とある文献にあるそうですよ。けど、倒れてもまた建てるその気迫^^; 今の再現すら難しいのにねー^^; さすが国家的事業は違う。
SLで再現した人は、なんかあっさり作ったとか言ってましたが・・・^^;
Posted by みーみー at 2011年02月28日 21:47
96mじゃなくて48mデス・・・・

上古ではなくて中古の高さですね。

チナミニ復元CGもほとんどが中古の大社で、上古の大社の画像は残念ながら見つけられませんでした・・・・。
Posted by フェニス at 2011年03月01日 23:18